「罪悪感を持たない」目標どうなった?2026年上半期ふり返り

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2026年も半分が終わりましたが、あなたは今年掲げた目標を覚えていますでしょうか。

かな子

わたしはもちろん自分の目標覚えていますよ。年始に宣言してしまったのでね…。

2025年は「黙る」を目標にしていたところ、その黙るためにも「罪悪感を持たない」ことが重要だと気づき、2026年の目標は「罪悪感を持たないに決めていました。

さて、それが現状どんな感じになっているのか、今年の上半期をふり返っていこうと思います。

目次

2026年の目標「罪悪感を持たない」とは

2026年のわたしの目標からおさらいしていきます。年始に立てた目標は「罪悪感を持たない」です。

もともと2025年は「黙る」という目標を掲げておりました。その理由は以下のページでご紹介しています。

さて、日々の生活の中で「黙る」を実践することで、かなり人生の質が向上していたのですが、毎回黙るときにわたしの足を引っ張ろうとする存在がありました。それが「罪悪感」です。

かな子

罪悪感があると、つい余計にあれやこれやと口を出したくなってしまいます。

たとえば、遊びや飲み会の誘いを断った後に会ったとき「本当は行きたかったんだけど…」と必要以上に言い訳を重ねてしまうことがあるでしょう。

「人に迷惑をかけるかもしれない」という罪悪感があると、頼まれてもいないのに勝手に気を利かして自分から余計に行動して疲れてしまうことがあります。

また、断る理由がないと断ってはいけないと思い込んでいると、無意識に体調不良を引き起こしそれでようやく断れる、など、断るにしても健康的でない現実を作ってしまうこともあるでしょう。

わたしも「なんでこんなに黙るのに苦労するんだろう…」と内省した結果、その根底にはひとつの「罪悪感」という存在が潜んでいました。

これではいけないと思い、「黙る」をブーストさせるためにも「罪悪感を持たない」を意識すると決めて今年の上半期を過ごしてきました。

年始と比較して感じる罪悪感への変化

さて、そんな「罪悪感を持たない」目標を掲げて半年を過ごしてきましたが、この時点でわたしに一体どんな変化が起きているのか、中間報告をしていきましょう。トピックとしては以下です。

  • 現状:かなり罪悪感が減っている
  • 変化に気づいたきっかけもやはり「罪悪感」
  • 罪悪感を持たないことで起きたこと
  • 下半期の目標:今一度「黙る」を実践
かな子

かなり変化を感じた上半期でした。順番にご紹介していきましょう。

現状:かなり罪悪感が減っている

結論から言うと、罪悪感がかなり減ってきています。これはすごく重要なこと。

もともと「黙る」ことに罪悪感があったので、「黙る」をブーストさせるために始めたのがこの「罪悪感を持たない」でした。

一方で、たとえ黙らなかったとしても、それに対する罪悪感も減ってきています。

かな子

黙っても黙らなくても、どちらでも罪悪感を手放せるようになってきました。

数量的に伝えるのが難しいので、本当に感覚でしかないのですが、明確に「これがあったから罪悪感が減っているだろう」と推測できる基準がわたしにはあります。それがまさに、「罪悪感が出たとき」です。

変化に気づいたきっかけもやはり「罪悪感」

「罪悪感を持たない」意識で過ごしていた上半期が終わろうとしていた頃、久しぶりに罪悪感が噴出したのです。

かな子

ふたつ立て続けに起きまして、それはどちらも仕事での出来事でした。

関係ないことを罪悪感に結び付けていた

仕事で使うチャットツールで、私を含めて3人がやり取りしている中で、その頃わたしが無意識に仕事が遅いことを気にしているときだった。そのため、ほか二人のやり取りを読むだけで「わたしの仕事が遅い」と言われているように感じた。そこでわたしは、またここで「黙る」を発動し、無理やりにでも罪悪感を一旦無視。次の日、よくよそのやり取りを読んだら全然わたしの仕事は関係なかったことに気づいて命拾いした。

自分のミスで罪悪感が出そうになった

シンプルに仕事でミスをし人に迷惑をかけてしまい、誰であっても間違いなく罪悪感が出そうな場面だった。とはいえ「これは絶対わたしでなくても、どうにかすべき問題だったのでは?」と思い直して、その対策案を提案したらそれが受け入れられ改善された。わたしが間違うのはみんなのため逆にみんなわたしに感謝すべきじゃない? とさえ思えるようになった。

どちらも罪悪感を回避できたエピソードでしたが、ここでふと気づいたのです。

かな子

「そういえば、こんなに罪悪感が出るのは久しぶりじゃないか」と。

去年までは、人間関係の問題が起きる度に自然と罪悪感が頭を占めていたのに、この頃には「久しぶり」と思えるほどでした。

それくらい、わたしはこのときまで強烈な罪悪感について結構忘れていたのです。そこで(あ、これ久しぶりだな!)(てことは、罪悪感が減ってきているということか!)と気づけるようになりました。

罪悪感を持たないことで起きたこと

そこから、この半年間で起きた変化の記録を見返したところ、特に印象的だった変化は次の3つでした。

  • 「こうありたい」を諦めず堂々と断るようになってきた
  • 自力でやろうとしないことを積極的に選ぶようになってきた
  • わたしの周りにめちゃくちゃ人が集まって来てバグかと思った
かな子

ちなみにわたしは、毎朝モーニングページを書いているので、当時のことをよく記録しています。

「こうありたい」を諦めず堂々と断るようになってきた

罪悪感があると、なかなか断れないですよね。だからこそ、「罪悪感を持たない」意識でいると、一番最初に成果として表れやすいのはやはり断れるようになる、ではないでしょうか。

後述しますが、この半年の途中で「断りたい!」と思う出来事が起きました。その頃のわたしは、もちろんまだまだ罪悪感たらたらだったので、断ることに勇気がいる頃でした。

かな子

しかし、それでも断ることに成功。断る選択肢を堂々と取れるようになってきたのです。

自力でやろうとしないことを積極的に選ぶようになってきた

「自分で全部やらなければ」をやめて、自力でやろうとせず、積極的に他力本願でいくようになってきました。

かな子

一番は仕事です。今はAIを使う前提で仕事するように意識しています。

きっとわたしじゃなくても、最初は「自分でやらないなんて…」と自分の仕事にすがりつきたくなることがありますよね。

AIに任せてしまったら、自分には一体何が残るのか…そう思い悩んでしまうことがあるかもしれません。これも罪悪感のなせる業。

しかし、わたしはやはりそこは堂々と無視し、他力本願で仕事することを意識していきました。

AIに任せると時間ができます。時間ができると自由にこだわれる余裕ができます。

わたしは凝り性なので、つい凝りすぎると時間がかかってしまうのですが、時間が浮けば凝れる余裕ができるので、凝れば凝るほど仕事で喜ばれるようになりました。

わたしの周りにめちゃくちゃ人が集まって来てバグかと思った

内向型のわたしの周りに人がたくさん集まった瞬間があり、かなり人生のバグかと思いました。

普段は在宅勤務のフリーランスなのですが、会議に参加するために会社へ出向いたある日、自然とわたしが座っていた席に何人かが集まり始め、あっという間に席が埋まったのです。

今までの自分だったら、この状況はバグ。どう考えても変。わたしは隅っこが大好きで、いつも人の輪に入らなくて済む席を選んでいます。だからこそ、このときにまた罪悪感が発動しました。

かな子

(わたしは社員じゃないのに、社員しかいないグループのひと席を埋めてしまっている…社員さん同士でしゃべった方が良いのではないか)

こんな感じで、少し離れた場所に座っているあの社員を見てそう思ってしまいました。

ひとりでいるのが普通のわたしが異常事態を察知すると、どうにか言い訳をつけてこの状況を回避しようとします。

そこで、実際に仕事の意思決定の舵を切るのは社員なので、『外部の人間』である自意識というもっともらしい理由を引っ張り出し、無意識にその場から立ち去ろうとして現状維持バイアスを働かせそうになっていたのです。

こういった認知バイアスがなぜ存在するか、については以下で詳しく解説しています。

とはいえ、そのとき(あぁまたアレが出そう…)と客観的に自分を見れていたので、逆に堂々とその場に居座りました。絶対これは、無視すべき罪悪感であるとわかっていたのです。

かな子

おかげで、その日は楽しく一日を過ごすことができました。

下半期の目標:今一度「黙る」を実践

さて、これだけでもわたしとしては十分変化を実感しているのですが、下半期はこれを踏まえて、今一度「黙る」を意識して初心へ戻ろうと思っています。

変化に気づいたきっかけでもお伝えしましたが、ここ最近で罪悪感が出てきているということは、つまり「黙る」が実践できていないという意味でもあるのです。

罪悪感が出ると、いろいろと言い訳をしたくなったり、つい口や手を出してしまい、余計なお節介をする自分と紙一重な状況です。

かな子

これでは、まだまだ落ち着いていられません。

もともと「罪悪感を持たない」は、「黙る」ための手段でした。罪悪感を無視することに慣れてきたわたしだからこそ、今一度初心に戻って「黙る」を実践していけたらなと思います。

黙るときのルールをおさらい

  • 求められるまでしゃべらない。求められてから意見を述べる
  • 意見を求められて、特定の立場を肯定するときは、反対の立場も肯定する。なるべく意見を曖昧に近づける
  • 心の中では自由に決めつけていい

このルールを徹底して、迷ったら黙る方を選択し、日々の生活の中で堂々と何もしないようにしていこうと思います。

罪悪感に飲まれる前に思い出すことリスト

この半年間で何度も罪悪感とぶつかりそうになる度に、自分に言い聞かせていたことがありました。

かな子

あなたもここが知りたいですよね?

そこで、この半年間で自分に繰り返し言い聞かせていた「罪悪感に飲まれる前に思い出すことリスト」を公開します。

  • 楽をするほど周りのためになる。機嫌よく過ごすことが世のため人のため
  • わたしが間違えば間違うほど喜ばれる
  • 罪悪感を減らしつつ断るための折衷案を考える
  • 「相手を困らせる」「迷惑になるかも」は相手を下に見ていることと同じ
  • 今すでに完璧なのだからこれ以上何も頑張る必要はない
  • 罪悪感を抱えたままでもいいからとにかく一旦「黙る」

毎日書いているモーニングページをふり返ってみて、「この考え方に救われた」と何度も思ったものを優先的にご紹介しますので、対罪悪感tipsとしてあなたにも使えると思います。ひとつずつ解説していきましょう。

楽をするほど周りのためになる。機嫌よく過ごすことが世のため人のため

あなたが楽をすればするほど周りのためになるし、機嫌よく過ごすことが世のため人のためになります(なります)。

わたしは最初そう思えず、自分が楽できているのは誰かが損しているからだし、自分が機嫌よくいることはただの自己満だと思っていました。しかし、これもすべて罪悪感がそう思わせているだけ

実際、自分が楽をしたことで誰かが確実に損している現場を見たわけではないのに、そう決めつけているのです。見ていないのに、それが世界のすべてだと勘違いしてしまいます。

だからこそ逆に、わたしが楽をすればするほど周りのためになるし、機嫌よく過ごすことが世のため人のためになるはずと決めて過ごしました。

現実は決まってないのですから、自分にとって都合が良い方へ決めつけておきましょう。これと同じく、頑張れば頑張るほど他人に迷惑をかけることも信じるとより効果的です。

実際この半年の間に、わたしが仕事で余計に頑張ったせいで、他の人に心労をかけてしまうことがありました。だからこそ、これはいよいよ本格的に頑張るのをやめなければ…と心に誓ったのです。

頑張れば頑張るほどパフォーマンスは落ちるし、逆に楽をして機嫌よくいるだけで周りに感謝される、と信じるようになり、徐々に罪悪感が薄らいできました。

わたしの場合、楽をする以外にも自分をよく見せることで機嫌がよくなることもわかったので、これを実行しています。

かな子

「よく見せる」は、見栄を張るという意味ではなく、納得できる自分で人前に立つ、という意味です。

今の自分に納得いっていないと、(本当の自分はこれじゃないけど、今は仕方なくこれでやっている。望んでこうしているわけじゃない)という態度が外に漏れ出るので周りのためになりません。

だからこそ、どうしたらわたしは機嫌よくいられるのか、にしっかり向き合う半年間でした。

この話で一番印象的だったのは、納得できた自撮りを家族に見せたときです。ものすごく喜ばれました。

そもそもわたしは、女扱いされないというコンプレックスがあったので、昔は自撮りを他人に見せるなんてあり得ませんでした。

ここ最近は、たまに撮って見せられるくらいにまで自意識が回復していたのですが、この半年間の途中でふと、写った自分に納得できるまで撮ろうと意識して撮影したことがありました。

「これくらいなら見せてもいいか」と思った写真を、家族のグループLINEに流したところ、今回は明らかに反応が良かったです。なぜか喜ばれました。

かな子

だし、自分がその写真に納得しているので、今までLINEに投げたら端末から写真を消していたのに、それは気に入っていてまだ残しています。

別に「盛れてる!」などと言われたわけではありません。でも、機嫌のいい自分でいるだけで相手のためになった気がした出来事でした。

こうして機嫌のいい自分になることで周りのためになり、罪悪感がどんどん減っていくことでしょう。

わたしが間違えば間違うほど喜ばれる

わたしが間違えば間違うほど、周りに喜ばれると信じていました。

先ほど触れた、わたしの仕事のミスで人に迷惑をかけてしまったものの、結局「わたしが間違うのはみんなのため」「逆にみんなわたしに感謝すべきじゃない?」とさえ思えるようになったケースがまさにそうです。

実はそのとき、わたしのそのミスを誰かのせいにもできるなと思っていました。

たしかにその事件を起こしたきっかけはわたしなのですが、その過程でわたしの想定外の出来事が起きたので、「そのせいでしょ」と言い訳したくなったのです。

どうしても仕事のミスを認めることには罪悪感があります。罪悪感があるからこそ、「黙る」とは対照的にめちゃくちゃ言い訳をしそうになっていました。

しかし、その言い訳を並べている中でまたわたしは一旦黙りました。冷静に客観的に現状を見たとき、むしろあの改善策を今提案できるんじゃないか、とひらめいたのです。

かな子

実はその仕事は、今まで「いつかわたしが何かやらかすんじゃないか…」とおっかなびっくりやっていた仕事でした。

チェック体制が整っておらず、ぶっつけ本番でやるしかない環境だったのです。それが当時すごく嫌でした。

今までも実は何度かこの問題が話題に上っていたものの、実害が出ていないのでその環境を整えるのが後回しにされていることをそのとき冷静に思い出したのです。

だからこそ、誰かのせいにしたくなっていたところを(いや、この問題はわたしが引き受けるべきだ…!)と決めて、わたしがしたミスに対して今まで温めていた改善策を満を持して提案し、結果的にそれが実現し、環境が改善されたのです。

その仕事はわたしだけでなく、他の人も関わるもので、その改善はおそらく待望のものでした。言葉でそう伝えられたわけではありませんが、きっとあの人やこの人もわたしのミスのおかげでその環境が整ったことに内心ほっとしているんじゃないかと思っています。

かな子

おかげで事前にミスを防げる体制が整ったわけですから、よりみんなが仕事しやすくなったことでしょう。

実際周りが本当にそう思ったかどうかが大事なのではなく、そう思われる可能性もあることを堂々と受け入れることが重要です。

その可能性があるのだから、最初から「そんなものはない。わたしのミスは会社の損失でしかない」と切り捨てるのはおかしいですよね。

罪悪感をなくすとは、こういった自分の視野の狭さにも気づかせてくれます

罪悪感を減らしつつ断るための折衷案を考える

罪悪感を持たないで、しかも断れるにはどうしたらいいか、という折衷案を積極的に考えました。

前半で「堂々と断れるようになってきた」という話をしましたが、「断りたい!」と思う出来事が起きたとき、わたしは罪悪感との折り合いをつけるために、お互いにとっての折衷案を考えようと思った出来事がありました。

わたしは普段在宅勤務なのですが、まれに一緒に仕事をしている会社へ出向くことがあります。

ある日、本当は明日行く予定ではないのに、チャットツールで一緒に仕事している人から「明日会社行く?」と聞かれて行かないと返したところ、来て欲しそうな態度の返信がきました。ピンチ!

かな子

直接的なことは言わず、察して欲しそうな言い方だなあって感じの返信。これが一番困る。

しかし、どうしても家で仕事をしたくて心底「断りたい!」と思っていたものの、わたしときたらその頃はまだ罪悪感たらたらですから、自分の意向を捻じ曲げ、「行きます」と言ってしまった方が楽なのでは…と悶々と悩んでしまいました。

いろいろと熟考した結果、「折衷案を出そう」と思い至ります。自分の意向を諦めず、かつ、相手の意図も捨てない、間を取る方法を考えたのです。

そもそも、会社へ出向くとき必然的に午前中から移動になり、これが心底嫌だっただけで、会社へ行くことは別に苦ではないと気づきました。

そこで、「そしたら午後から向かいます。午前中からの方が都合がいい場合は調整するので言ってください」のような内容で返答したところ、そういうつもりじゃなかったと言ってくれて、結局わたしは外出することなく、折衷案も実施されませんでした。大逆転!

罪悪感いっぱいだと、自分の「こうしたい」という気持ちを無視した行動を簡単にとりがちになりますが、罪悪感を断ち切るために折衷案を考えられたので、勘違いしたまま話を進めずに済みました

かな子

一方的に断ることも避けられたので、自分に助けられた気持ちです。

もしここで、わたしが嫌だと思っていることを我慢して相手に合わせてしまっていたら、わたしが嫌なことをしているのは相手のせいになるので、関係がこじれていたかもしれません。しかし、相手は別にそんなこと求めてなかったのだから、余計やる意味なかったです。助かったー。

「相手を困らせる」「迷惑になるかも」は相手を下に見ていることと同じ

自分を優先したいときに、「相手を困らせる」「迷惑になるかも」などという罪悪感が出るときは、相手を下に見ていることと同じだと思ってみてください。

つまり、自分が勝手気ままに振る舞ったくらいで影響を与えてしまうと思うほど、相手は弱い存在だと認識しているということです。

「この人は自分で断ることができないだろうから、お願いするのをやめよう」と思うのは、相手の自己決定権を奪っているという意味でパターナリズムではないかと思います。

「こう思うだろう」と勝手に相手の意思を決めつけてはいけません。それは、相手の自主性・主体性を奪っているのと同じです。

自分が誰かに影響を与えると思いすぎています。自分ごときに何かされたくらいでへこたれるほど、相手は弱くありません。あなたがそう思い込んでいるだけです。

それは、あなたが自分に対してそう思っているからじゃありませんか? 自分は、誰かのわがままに付き合えるほど余裕がないと。だから相手もそうだろうと。

これは心の防衛反応である「投影」が起きている状態です。投影については、以下で詳しく解説しています。

かな子

でも、これからのあなたは違うんですよね? 罪悪感なく断るんですよね?

であれば、それは相手も同じです。相手もあなたと同じように、嫌だったら堂々と断れる力があります

相手はあなたに断られても絶対大丈夫。あなたがいなくても、自分で上手くやっていける力があります。それを信じてください。

今すでに完璧なのだからこれ以上何も頑張る必要はない

今すでに完璧なのだから、これ以上何も頑張る必要はないと何度も思い出しました。

かな子

これは少し抽象的ですが、自分を攻撃しそうなときに有効です。

完璧じゃないと思い込んでいる現状でも、自分が気づいていないだけで、実は別の視点から見たら完璧なのかもしれません。

でも、これってなかなか信じられないじゃないですか。

別視点で見ているその人はわたしじゃないし、わたしにとって完璧な世界だと思えないと罪悪感がわいてきてたまりません。もっとできることがあったんじゃないか、と何度も反省してしまいます。

その瞬間、それでもいま完璧と言ってその思考をすかさず遮りましょう

それに対して「いやいや」と反論しそうになっても、それですら「いま完璧」で抑え込む。そうやって何度も自分を否定しそうになっても、それですら正解で完璧に完成されている世界であると決めつけるのです。

現状が完璧なのであれば、これ以上何かを頑張る必要はないですよね。だって完璧なんですから。

勝手気ままに振る舞うことも完璧だし、頼まれごとを断っても完璧なんです。もしそれを非難されても、それですら完璧で何も問題ありません完全無欠なのだから、どういう状態だって正解のはず。

罪悪感が出そうになる度にこれを思い出して、自分の罪悪感を封じ込んでいくとだんだんと罪悪感が静かになっていきますよ。

罪悪感を抱えたままでもいいからとにかく一旦「黙る」

荒療治ですが、罪悪感を抱えたままとにかく一旦黙ってみると、思考が落ち着いて冷静に状況を判断できるので余計なことをせずに済みます。

罪悪感があるときは、とにかくすぐ手や口を動かしたくなります。自分で責任を負わないようにするために、罪を背負わずに済むように、なんとか言い訳をしてしまいたくなるのです。

そんなときでも、罪悪感を感じたまま自分が責任を負っている状態であっても、一旦じっとしてください

その罪悪感から離れて別のことができるならその方が良いです。その罪悪感に答えを出そうとするのをやめましょう

罪悪感を抱えた瞬間は頭がそれでいっぱいになるので、きっと冷静に現状を分析できないかもしれません。わたしはかなりそうでした。

でも、一旦そこから離れて冷静になる時間を作ると、実はそんなに焦らなくていいことだった、ということは往々にしてあります。

かな子

罪悪感を抱えたままでい続けることは、その瞬間だけはつらいかもしれません。

しかし、その罪悪感は自分が勝手に思い描いた妄想なので、実在しませんから安心してください。

まとめ

以上が『「罪悪感を持たない」目標どうなった?2026年上半期ふり返り』でした。結果として、現状では以下のような変化がありました。

  • 「こうありたい」を諦めず堂々と断るようになってきた
  • 自力でやろうとしないことを積極的に選ぶようになってきた
  • わたしの周りにめちゃくちゃ人が集まって来てバグかと思った
かな子

すでに上半期の時点でかなり人生の変化を実感しています。

罪悪感は今でも出ますが、その罪悪感に振り回される時間は圧倒的に減りました。そんなわたしの罪悪感に飲まれる前に思い出すことリストも公開しています。

  • 楽をするほど周りのためになる。機嫌よく過ごすことが世のため人のため
  • わたしが間違えば間違うほど喜ばれる
  • 罪悪感を減らしつつ断るための折衷案を考える
  • 「相手を困らせる」「迷惑になるかも」は相手を下に見ていることと同じ
  • 今すでに完璧なのだからこれ以上何も頑張る必要はない
  • 罪悪感を抱えたままでもいいからとにかく一旦「黙る」

あなたの罪悪感を退治するのに役立ちましたら幸いです。

かな子

こんなに一気に書いてしまって、今年全体のふり返りで書くことなかったらどうしよう。

ひとまず下半期は、初心を忘れず「黙る」へコミットしていこうと考えています。

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